Vampiяe 9
ノドが渇くような
お腹が空いたような
苛々するような
『…』
『』
声が聞こえる
聞きなれた声
よく知った“香り”
自分の中で、何かが反応するのが分かった
気がつけば、目の前にあった白い首を
自分の爪が食い込むほど掴んでいた
視界が明瞭になり、はっとして
目の前の首の持ち主を突き飛ばした
反動で、背中が後ろの机にぶつかる
シンとした薄暗い教室に
二人分の息遣いと
強い雨の音だけが響いた
「…あと、べ?」
「…起きたか?大丈夫か、お前。」
それはコッチの台詞だ
突き飛ばされた跡部は、首を手で押さえながら
本気で心配そうな目で、私を見ていた
外では、ざぁざぁと本格的に雨が降っていた
多分部活は中止になったのだろう
私がここにいると、ジローが言ったのだろうか
…それで、それで何をしてるんだ私は
微睡みの中で、無意識だったとはいえ
本能的に血を欲するあまり
彼の首筋に爪を立てていた
嫌、嫌だ
もう嫌だ
この人から、これ以上血は奪いたくない
「ごめん…跡部…ごめん。」
「寝ぼけてんじゃねぇよ…いいから、ホラ立て。」
跡部は立ち上がって私に手を差し伸べた
情けなくて、優しさが苦しくて
顔があげられない
ねえ
跡部
「跡部。」
「なんだ?」
震える声で呼んだ
応えた声は
優しかった
濡れたのだろうか、微かに湿る制服ごと
私は抱きしめた、抱きついた
少しの間をおいて、彼の腕が背中にまわる
「…」
「…どうした。」
伝えたい
すべてを
正直に話してしまいたい
どうして好きになってしまったんだろう
ただ利用して
捨ててしまえばよかったのに
吸血の化物になりきってしまえばよかったのに
あきらめて、冷たい人間に
心からなってしまえれば
でも
好き
もう遅い
「跡部」
「だから、どうした?…泣いてんじゃねーよ。」
恐怖の涙か
苦しくて
苦しくて流す涙か
面白いぐらいに、目から溢れて
震えて、勝手に流れ出ていた
雨にも負けないくらい
ざぁざぁ――雨の音が頭の中に響く
嗅ぎ慣れた匂いが、鼻腔に充満する
じんじわと体に沁みてくる温い体温
どこかぼんやりとした意識の中
他人が喋っているように
その言葉は、自分の耳にも振動して届く
「…私が、バケモノでも、好きって言ってくれる?」
「バケモノ…?」
「私がバケモノでも、」
「…」
「跡部をずっと騙していたとしても、」
「…」
「ひどい事していたとしても、許してくれる?」
まるで懺悔のように
気がついたら
滑るように口から出ていた
ただ
受け止めて欲しかった
でなきゃ、自分に負けそうだった
跡部が許すって言ってくれたら
いくらでも
血を渇望している自身の本能に勝てそうだった
“好き”と言っちゃいけない
いえる立場じゃないって思いつつも
目の前にある優しさに、抗えなくて
…都合のいい
本当に自分は弱くて
何も出来なくて…それでも許しを乞う
核心を告げずに
許しだけを乞う
…こんなんで受け止めてくれなんて
「…、俺は」
「…ごめん、跡部、今の忘れ」
「聞け。」
「…え?」
「お前がお前である限り、俺の気持ちは変わんねぇよ。」
変わらない
私が、私である限り
跡部の言葉を反芻する
「…ッ…私、私は、跡部が…」
嬉しさに、満たされてしまった心が
つまっていた言葉を押し出そうとしていた
それは、肯定と受け取っていいの?
カタン
口にしかけたところで
小さな物音が耳に入る
微かな、音
誰か、いる
私は教室のドアの方に目をやる
…気付かなかった
「…あ」
「…お邪魔、だった?」
跡部の、彼女だった人
今日お昼跡部が去って行った後
階段での二人の会話は私にも聞こえていた
「…嘘つき。」
「っ…」
彼女はドアの横に立ち竦んだまま
静かにそう呟いた
私は跡部を退けて、立ち上がった
本当に跡部が好きなんだね
でも、私も跡部を好きなことだけは嘘じゃない
二人の会話を聞いた時
それだけは彼女に伝えたいと思ったから
「…嘘じゃ、ない。」
「嘘、付き合ってないって言っといて結局っ…」
私はゆっくり彼女のすぐ傍まで近づいた
彼女は怯まなかった
だから彼女にだけ、聞こえる声で言った
「私は彼が、好き。アナタよりも…ずっと。」
「な、」
「だから、私も――――アナタが大ッ嫌い。」
「ッ」
真正面から彼女を見据えた
気を抜けば、体が崩れていきそうだった
でも今は負けたくなかった
「今、更…」
「何とでも言って。私の答えは、彼が好き、それだけ。」
それ以上、今の私に言えることはないから
彼女は何も言わない、言い返さない
私はジッと視線を送る
――――カチ、カチ
小さな、金属の擦れるような音が耳に届く
聞いたことある、その音
音の先に視線を送る
彼女の手の中、鈍い光
それが何か分かった瞬間、私は言った
「…刺せば?…いいよ、死ぬかもしれないけど。」
苦笑しながら、言い捨てた
馬鹿にしている
そう取られたかもしれない
でも言った内容は事実だった
そんな物…カッターなんかでも
私はすぐ治癒する事ができる
でも、それは今となっては自分の身を削る力
傷ついて治しても、治ったとしても
今度こそ、本当に力尽きるかもしれない
それでも私は彼女の持つそれに、自ら手を伸ばす
彼女の体がビクリと反応し
同時に、腕にチリっとした痛みを感じた
振り払おうとした彼女の手が
手の中の刃物が、皮膚を切り裂いていた
「あ」
カチャンと音をたてて
刃の部分に、僅かな血を滴らせたカッターが落ちた
背後で跡部が反応するのが分かる
「あっ…」
「痛っ…」
あの時と同じように、彼女の顔が青褪める
カッとなり易いのか、根は臆病なのか…
それでも彼女は僅かに震える手で、カッターを拾いあげた
怯えているのか、気持ちが高揚しているのか
握るその手はまだ震えている
私は腕を抑え、じっとその様子を見る
受けて、当然だと思うから
私は彼を騙し、もっと酷いことをしているから
このくらいの傷…これは自分への罰だと思ったから
「…平気だよ。これくらい…何されたって、私は、」
「―ッ煩い!!」
彼女の手が振りあがる
反射的に後ろに下がろうとする体を押さえつける
自分が傷ついて何がどうなるわけでも無い
罪が償えるわけでも
許されるわけでも無いのは分かってる
それでも今は
そう、思ったのに…
再び皮膚を切り裂く微かな音と
“血”の匂い
よく知った、自分以外の“血”の匂い
「跡部ッ」
「景吾!」
彼女と自分の声が重なる
彼女との間に
いつの間にか入り込んだ彼
「景、吾…どうして、その人のこと庇うの…」
「…あぁ?文句あるなら俺に、つったろ…ちっ」
「…」
跡部は不服そうに舌打ちをして
血の滲む自分の右腕を睨んだ
私は何も言えずに呆然と
腰の抜かしたままそれを見上げていた
彼女は走り出した
逃げ出した
凄艶な顔を歪ませながら
…きっともう、二度と、何もできない
大好きな人を傷つけてしまったから
…今私が思うことはただの同情なのかもしれない
でも、その姿にズキリと胸の奥が軋んだ
「…、腕見せろ。」
「…」
「…聞いてんのか?間抜け面して。」
「っ」
体が震える
いつも通りの跡部であることの安堵と
庇って怪我をしたという恐怖と
…それよりも何よりも感じる、怒りに
「―っの…馬鹿!!」
「ああ゛!?」
「信じられない!大事な腕なのに!!」
「…お前が黙ってやられんの見てろってのか!?」
「カッターなんかでたいした怪我しないッ!馬鹿!!」
「ってめぇ、腰抜かして偉そうに喚いてんじゃねぇ!!」
ぜぇはぁと二人して肩で息をする
驚いた
本当に吃驚した
庇われる、なんて概念なかったから
自分の体の尋常じゃなさを知っていたから
それに怪我を負わされても仕方ないって思ってたから
「…馬鹿、馬鹿だよ…」
「…」
血の流れる跡部の腕を取る
自分より傷は深い、早く手当しないと
ショックと申し訳なさでいっぱいだった
自分の血のついた手の平を
跡部の傷口に軽く触れた
私の血には、治癒能力がある
そのまま血を抑えた自分の手の甲に額を付ける
謝罪するかの用に頭を垂れて
私の傷を心配する跡部の声は無視した
私はいいから治して、彼の怪我を消して
…バケモノとバレても…構わない、から
散々血を奪っておいて
今更と嘲るだろうか
それでも私は
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